ワインショップ ラ・ターシュ



【受注発注商品】ラ・ターシュ [2001] DRC (ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ) La Tache Grand Cru [2001] DRC (Domaine de la Romanee Conti) 【赤 ワイン】

“ロマネ・コンティ”を擁するDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)のワインは、世界中のワイン愛好家の憧れ!ここのワインが良く出来た時は、確かに特別の『何か』があり、その『何か』が『飲み手の魂をすいとる』とまで言われます。“ロマネ・コンティ”を王冠にたとえるとしたら、他のDRCの畑はその王冠を飾る宝石として一層の輝きをそえています!!ロマネ・コンティ畑の南に位置し、斜面の上下に広がるため、上部の重厚さと下部の繊細さが一つになって奏でる独特の複雑な深みを持ちます。色濃く、凝縮された印象のワインで年によってはロマネ・コンティに迫る味わいとも評されます。Domaine de la Romanee Conti ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティDOMAINE DE LA ROMANEE CONTIドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ最も有名で、最も高価な造り手!ブルゴーニュの至宝!『D.R.C』とは【Domaine de la Romanee-Conti】頭文字を取ったもので、あの有名な『ロマネ・コンティ』!! 今や、世界的に最高レベルのワインと評されるようになった『ロマネ・コンティ』ですが、その歴史はローマ時代にまでさかのぼり、2000年以上の歴史があるドメーヌなのです。*王冠『ロマネコンティ』と、それを囲む宝石たち ロマネ・コンティ畑と十字架コート・ド・ニュイの中心に位置し、ときに『ニュイの真珠』と讃えられるヴォーヌ・ロマネ村。この村には6つのグラン・クリュ畑があり、その全てがブルゴーニュきっての極上品として覇を競いあっています。 力強さと複雑さの【ラ・ターシュ】、華やぎの【リシュブール】、堂々たる骨格の【ラ・ロマネ】、繊細さの極みともいうべき【ロマネ・サン・ヴィヴァン】、そして最後にグランクリュに昇格した【グラン・ド・リュ?】。ロマネ・コンティは、この5つの宝石に東西南北を取り囲まれるようにして、まさにその中心に君臨しています。ロマネ・コンティだけが、これら5つの宝石のすべての美質をあわせもっているのです。 堂々たる骨格をもったロマネ・サン・ヴィヴァンは存在しませんが、ロマネ・コンティにはそれがあります。リシュブールの華やぎをもつラ・ロマネは存在しませんが、ロマネ・コンティにはリシュブールに優るとも劣らぬ華やぎがあります。ロマネ・コンティは文字どおり中心であり、すべてなのです。*『ロマネ・コンティ』の誕生 中世の頃、ロマネ・コンティとロマネ・サンヴィヴァンの大部分は『サン・ヴィヴァン修道院』が所有していました。また、リシュブールやラ・ターシュの一部は『シトー修道院』の所有でした。18世紀初頭頃には、ルイ14世の持病を治療するために、担当医が毎日スプーン数杯分の『ロマネ・コンティ』を処方していたというエピソードがあります。 その後、これらの畑は競売にかけられることになり、所有権をめぐってルイ15世の寵姫ポンパドール夫人と、軍事顧問的な役割を担っていたコンティ公との間で争奪戦が行われました。そして、1760年、正式にコンティ公が所有者と認められたのです。争いに敗れたポンパドール夫人の怒りは激しく、この事件以降、ベルサイユ宮殿から全てのブルゴーニュワインを閉め出したと伝えられているほどでした。 コンティ公は、愛人を40人も囲い、贅沢の限りを尽くしたと言われている人物で、絵画や食事への造詣も深く、いつしかワインにも最高級のものを求めるようになりました。『ロマネ』と呼ばれる畑から作られたワインは、全てコンティ公が独占することとなり、コンティ公宮殿でしか味わえない伝説的なワインとなったのです。 そして、1789年にはフランス革命が勃発し、貴族の荘園がすべて没収となり、ロマネコンティも同じように名前の変更・畑の細分化の危機に襲われます。しかし、ローマ時代から続く歴史あるブドウ畑は人々の尊敬と崇拝を集めており、革命後もその名声は変わらず守られました。戦争も革命も『ロマネ・コンティ』には傷を負わすことはできませんでした。 1794年、このワインは正式に『ロマネ・コンティ』と名づけられ、あの“高級ワインの代名詞”『ロマネ・コンティ』が生まれました。 1869年、現当主のオベール・ド・ヴィレーヌの家系がドメーヌを買い取り、すでに所有していたリシュブール、エシェゾー、グランエシェゾーに加え、1933年にラ・ターシュ、1946年にロマネ・サンヴィヴァン、1963年にモンラッシュの畑も手に入れていきました。1942年、会社組織に移行し『DRC』という会社が生まれたのです。*2000年間、葡萄の根が耕し続けた大地 ロマネ・コンティ専用の発酵槽ロマネ・コンティの畑の歴史は、ローマ時代にまでさかのぼります。ローマ人による統治と葡萄栽培への感謝から、この村の極上の畑に「ロマネ」の名が贈られたのです。以来2000年に渡り、この畑には葡萄が栽培され続けてきました。有機栽培では「根が耕す」ということがよく言われます。 人の手で耕すことができるのはせいぜい深さ50?60cmどまりですが、葡萄の樹は10m以上の深さまで根を張りめぐらします。その根が土を耕し、数十年もたつと土の組成そのものが変わってしまうのです。ロマネ・コンティの畑は、まさにそうして「根による深耕」を2000年以上にもわたって続けてきた特別な土地。かつてローマ人が目をつけた優れた土壌と微気候を、幾十世代にわたる葡萄栽培家達の手が、完璧なものにつくり変えたのです。いわばこの土地には、時間の魔法がかけられているのです。 *ドメーヌ ド ラ ロマネ・コンティ 名声を追う必要のない、ただひとつの醸造元 ドメーヌの現当主オベール・ド・ヴィレーヌの家系が、ロマネ・コンティの所有権を得たのは、1869年。以来、同家は、ロマネ・コンティのオーナーとしてのみでなく、リシュブール、グラン・エシェゾー、エシェゾーの一部を所有する、小さいながらもブルゴーニュ最高の醸造家として名声を博してきました。 以後、1933年にはラ・ターシュのすべてを買い取り、46年にはロマネ・サン・ヴィヴァンの耕作権の一部を取得(88年に畑を買収)、63年にモンラッシェの数うねを買収と、「王冠」ロマネ・コンティの周囲を飾る数々の宝石を入手、原石に磨きをかけ、一層の輝きをそえてきました。この間、1942年にはドメーヌを会社組織にし、正式名称を「ソシエテ・シヴィル・デュ・ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」としました。 今日、ドメーヌでは、プルミエクリュの畑も所有していますが、ドメーヌ元詰めものとしては、グランクリュしかリリースしていません。リリースされるワインは次の通りです。【ロマネ・コンティ】、【ラ・ターシュ】、【リシュブール】、【ロマネ・サン・ヴィヴァン】、【グラン・エシェゾー】、【エシェゾー】、【モンラッシェ】。

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